『斗起夫 ―2031年、東京、都市についての物語―』からマインドフルネスの旋律を聴く

東京にうまれつき、その内部で育ったことにコンプレックスを感じていた時期がある。破天荒な祖父は小細工によって徴兵を免れ東京大空襲を東京下町で経験、その後下町一帯をまたにかけて新聞屋を経営し、やがて母がうまれた。同じ町でわたしがうまれた。生粋の江戸っ子である。大学では映画を専門に学んでいたから、卒業論文では映画の中に描かれる東京について、東京を物語ることについて、論じることにした。よくある都市表象だ。私は不真面目な生徒だったから結局書きあげるのに時間がかかってしまって、その結果、長く東京について考える時間があった。江戸からの連続性をもった都市・東京は戦前と戦後では大きく様相を変え、高度経済成長期を契機に歪でカオスな空間に姿形を変化させた。近未来のディストピアと化した東京からの2人の少年の逃亡を描く恩田陸の『ロミオとロミオは永遠に』の中で提示されるユートピアは未来ではなく過去にあった。未来に希望があるとはとうてい思えない。人はなぜ、東京について書くのか。


ぶいの「ぺ」公演『斗起夫 ―2031年、東京、都市についての物語―』12月29日(木) 昼の公演を観ました。脚本・演出の宮澤大和さんは大学時代に所属した劇団木霊の先輩だし、なんなら一度『アドルフ』という演劇にキャスティングしていただいたこともあって、その現場はあまりにも刺激的だったから、なんというか、ぺぺぺの会ってちょっと怖いんだけど……けれど実際のところ、大和さんがどんな場所でうまれてどんな人生をおくってきたのかなんてほとんど知らないから、知ってみたいという気にもなった。傑作だというのなら目撃せねばならない。けっこうワクワクしながら北千住の地へと降り立ったわけです。

マームとジプシーの『Light house』そして『cocoon』を立て続けに観た時、洞窟に深く潜っていくような、周りが水で満たされているような、そんな場所で沢山の悲鳴をきいていた。日本は島国だから、沖縄は勿論、東京も水のにおいがする場所だとおもっているけれど(高度経済成長期の埋め立てで東京の川や水路はそのほとんどが消えてしまったけど、それでも水は私たちのすぐそばにある。)今日もやっぱり水のことについて少し考えた。会場の北千住BUoYがもともと銭湯のあった場所だからだろうか。水の流れる音が常に聞こえていたのは音響なのか、会場の特性なのか。東京がまだ水で満たされていた頃、こんなにも渇きを感じていなかったのではないか。『cocoon』のアフタートークで藤田さんが、「今は戦後ではなく戦前だ」「過去の戦争の知らないこと、わからないことを追体験しようとしているのではなく、今現在の経験として戦争がある」というような内容のことを話されていて、たしかにそうだ、と感じた。この「今はまさに戦前である」という言説は色々な場所できくようになったけれど、あの時から、私はこの世界が酷く渇いていて、その渇きをうるおさなければおかしくなってしまう人間達が渇きの中を彷徨っているのだと思うようになった。斗起夫の物語には、まさにそんな戦前の、「今この瞬間にここにいる私が感じている」渇きの世界が見えたような気がする。マインドフルネスの旋律とともに……


何について言及しようか。

斗起夫がふと絶望した時、わたしにはなにもかもがわからなかった。わかるわけがない。
セミナーに集う人々のことはなにかわかるだろうか。それも多分わからない。
あの映画監督の苦しみも、わらびのことも、ナナちゃんのことも………

人のことなんてわからない。わかるのはわたしが、あなたが、君が、生きているということだけだ。事実だけがそこにある。誰かの共感や認知を必要としない事実だけが、パッチワークに似た構造で東京を定義する都市景観のように、至る所に顔を出している。めのまえで起きている問題を見過ごしながら生きているわたしは、あの場所で、動けずに客席に座っている。そうやって見ていた全てのシーンが美しく、深く潜り、そして太く、そこにあった。


世界を、広く、大きなものにしていく。メタバースに世界が拡張している昨今、わたしの今いる現在地に確実性があまり感じられないのだけれど、地上で核戦争が起こった時、メタバース上の核シェルターはなんの役にも立たない。ぺぺぺの会の身体は常に躍動している。それが心底羨ましくなる。

ボウリングのたまを投げ、ピンが倒れる予感とともに、またひとつ、息が苦しくなった。都市に、東京に、癒しはあるのか。

ラストシーンで、斗起夫とわらびの人生が邂逅する。ナナちゃんの面影が立ち上がり消える。わたしたちはこの渇きが一瞬のものではなく、日常的に、この先ずっと、向き合わなければならない絶望なのだと知っている。2人が横にならんだあの瞬間、渇いた地下にやさしい風が流れ込んだ気がした。気がつけば泣いていた。