父と花屋で待ち合わせをした日

「花屋で会いましょう。」という母からのメッセージを受信したのは父方の祖父が亡くなった数日後だ。枕花を選ぶために。わたしが母の胎内から顔を出したときにはすでに母方の祖父は亡くなっていたし、母方の祖母の葬儀のことは朧げな記憶になっていた。祖父の死はあまりにも現実的で、それゆえか納骨の瞬間まで頭痛がとまらなかった。この時間をなるべく忘れないようにして生きるべきだと思った。どうしたら忘れないでいられるのか考えてもわからなかったけれど、ビデオカメラをまわしておきたかったし、例えば棺の中の祖父の顔を見ている最中のわたしを少し遠くから呼んだ父の顔をポケットにしのばせていたフィルムカメラで記録したかった。けれど記録することは出来ず、ならば帰宅してから思い出せる全てを書き起こし、思い出せない部分を新しい記憶に置き換えて、映画の脚本にでもしようかと考えていた。タイトルは無難に、「花屋で会いましょう。」

結局、わたしはすでに多くのことを忘れてしまっている。「花屋で会いましょう。」のなかで、わたしが待ち合わせをしたのは母ではなく父だ。そうしたほうが面白いと思ったから。祖父の死に際した女とその父親の話。女はいつもカメラを持ち歩いていて、父とはそこそこ仲がいい。女は、父が何を感じているのかを知ろうとして葬儀中も父のことばかりが気になっている。

父はあの日、病院の、あの部屋のなかで、祖父と何を話したのだろうか。おじいちゃん、一緒に散歩に行けなくてごめんね。いっぱい写真を撮れなくてごめんね。

先月、祖父の一周忌があった。
わたしたちは家族だ。