たまに本を紹介する Vol.1



先日、友人と2人でスーパー銭湯に行ったのだけれど、寝風呂で半身浴をしながら読書の話になった。私はよく本を読む。もしかしたら私を知ってくれている方のなかには、私が映画が好きで、とにかくよく映画を観ているのだということをご存じの方もいらっしゃるだろうが、実のところ、映画を観るよりも本を読んでいる時間のほうが長く、たとえば1泊2日の旅先にスーツケースを持っていくとき、そこにはだいたい5冊程度の本を忍ばせておく。勿論、手持ちのバッグには別に2冊の本が入っている。

小学生の頃から本を読むことはひとつ私の習慣になっていて、それはひとえに定期的に図書館へ連れていってくれた母と読書家の父、そして2人が通わせてくれていた公文の関口先生と、SAPIXの読書感想文コンテストのおかげだと思う。(ひとえに〜という表現が使われるべき場面がどうか?というのはさておき)中学受験のためにSAPIXに通っていたあの頃は、息抜きのために隠れて小説を読んでいたし、小学校の自由課題ではノート1ページぶんの小説を書いて提出するというのを続けていた。今思えば酷いものだったけど。昔に比べると圧倒的に読む量は減っているのだけれど、それでも常に1冊の本を持ち歩くようにしていて、それは時に心の安寧を保つために役立っている。 本について。

本について書いてみようと思ったのは、本について書かれた雑誌や冊子が好きだから。人が読んでいる本を知るのが好きだし、新刊のリストをながめるのも楽しい。できるだけ気ままに、感想は特に書かず、たまに本を紹介する。もしよかったら、皆様の好きな本も教えてください。





サリー・ルーニー

山崎まどか訳『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』(早川書房、2021)
山崎まどか訳『ノーマル・ピープル』(早川書房、2023)

本を選ぶ方法というのは色々あると思うんだけど、山崎まどかを経由した本はとりあえず全部購入リストに入れてみる、というのが私のやり方。気になる本を全部買っていたらキリがないしお金もないので、ひとまず購入リストにストックして、時々実際に買ったりして、それを自宅の本棚に積んでいます。だから、実際に読了した本っていうのはそんなにあるわけじゃないんだけど、それでもできるだけ本は買いたいなあと思っていて、半年くらい前にひとつ本棚を増やしました。

『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』に登場する4人はそれぞれがお互いと恋人関係、夫婦関係、元恋人関係、仕事(協動)関係などの所謂パートナー関係で結ばれているんだけど、そこには生活階級やキャリア、容姿やジェンダーのなどの格差あるいは権力構造が内在している。語り手のフランシスは、日々の何気ないイニシアチブの奪い合いに疲弊していながらも、不倫にのめりこんで自分を癒そうとしている。彼女や彼女たちの哲学はなかなか実践に辿りつかない。主義主張をぶつけ合う4人の会話(時に議論)に耳を傾けると、関係性に名前をつけようとすることが野暮なんだと思わざるをえないんだけど、それにしたって、どうしたって、傷つくことを回避しながら誰かと向き合うことってできない。性別や性的指向についての感覚が共感できるものだったから、読んだあとに「ああ、よかったな」って思った。よかったな、と思う本はそんなに多くない。なので、『ノーマル・ピープル』を迷わず購入。ちなみにポール・メスカルが主人公を演じているらしい実写ドラマ版「Normal People」はまだ観ていない。ポール・メスカルは「aftersun/アフターサン」(2022)を観るまで存じあげなかったんだけど、「aftersun/アフターサン」は本当に素晴らしい作品だった。ただ、テイラー・スウィフトの元恋人のジョー・アルウィンと「Tortured Man Club」なるグループチャットを結成していることで有名で、テイラーとジョーが破局してからは、ふ〜〜ん、って思ってる。関係性の囚人だね、私自身が。それこそジョー・アルウィンは実写ドラマ版「Conversations with Friends」でフランシスの不倫相手のニックを演じている。途端に観たくなってきた。





ハン・ガン

きむ ふな訳『少年が来る』(CUON、2016)
井手 俊訳『菜食主義者』(CUON、2011)
斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』(河出書房新社、2018)

おそらくBRUTUSの特集で、韓国の現代詩を読もう、みたいな斎藤真理子と前田エマの対談ページがあって、それを年末に長谷寺の境内で甘酒を飲みながら読んだ覚えがある。当時の私は日本の現代詩ですら少し距離を感じていた気がするけど、韓国のドラマ「五月の青春」(2021)に心を奪われていたせいで、韓国の歴史や光州事件のことを学びたいという気持ちになっていた。対談ページでは斎藤真理子ときむ ふな共同翻訳の『引き出しに夕方をしまっておいた』がピックアップされていてハン・ガンに興味を持った。どうやら『少年が来る』という小説は光州事件をテーマに書かれたものらしい。新年明けて六本木の蔦屋書店に行ったらハン・ガンが積まれていたので『すべての、白いものたちの』を買ったのが最初。そこに『少年が来る』はなかったんだけど、随分あとになって購入することができた。ハン・ガンの本は年に1冊くらいのペースで買っていきたい。 

ところで、「少年たちの時代革命」(2021)という映画をご存知でしょうか。2019年の香港民主化デモを背景に、若者たちが奔走する群像劇です。現実に絶望した少女・YYがあるメッセージを残して失踪し、彼女の自殺を察知した少年ナムとその友人たちはデモが過激化する香港を走りまわりながら彼女を探す。わたしはこれを2023年の1月頃に菊川にある映画館Strangerで観て、その余韻を引きずり続けているんだけど(是非観てほしい)、「少年たちの時代革命」を観たあとに「少年が来る」を読み返して、想像が少しまた具体的になった。(SNSに流れてくるパレスチナの子供たちの死体がつみあがっている映像、あの映像をみて、また、「少年が来る」の冒頭第1章を思い出す。"君"はトラックからおろされたいくつもの棺の番号と遺体の名前を記録している。)世界各地で起きている戦争や闘争、あるいは革命運動はそれぞれに歴史的背景があって、一般市民がいるのだということを忘れないようにしたいのだけれど、同時に、歴史の再現性や連関性を憂い、絶望する。特権性を自覚しながらもなお戦わなければいけないのだ。自分自身のために。





宇佐見りん

『くるまの娘』(河出書房新社、2022年)
『かか』(河出書房新社、2019年)
『推し、燃ゆ』(河出書房新社、2020年)

『くるまの娘』が新刊で発売された今よりちょうど2年前、『推し、燃ゆ』ブームのあとだったからだと思うんだけど『くるまの娘』の広告がいたるところに掲載されていて(わたしのアンテナに引っかかっていただけかもしれない)、推し燃ゆを読む前に『くるまの娘』を買って読んだ。それでびっくりして、そのまま『かか』と推し燃ゆを購入した。芥川賞作品・候補作品はやっぱり(面白いので)読んでおかなきゃだめだな、とその時少し反省して、ここ2年間は候補が発表された時点でチェックするようにしているのだけれど、『くるまの娘』を超える傑作には出会っていない。(『くるまの娘』は芥川賞作品ではない。九段理江の『東京都同情塔』はとてもよかった。) とにかく、以降、宇佐見りんの作品は全部読むと決めている。『くるまの娘』は紛れもない傑作だ、誰がなんと言おうと。

17歳のかんこには、家族に暴力を振るいや暴言を吐く普段は真面目な父親と、脳梗塞をきっかけに感情をコントロールできなくなった母親がいる。兄は家を捨て弟も家を出てしまった。かんこは家を出ない。ゆるく続いていく地獄のなかを、永遠に生きていく。

「人間でいるのがつらかった。人間でいることは許されない気がした。やがて、左右の目をつらぬくように、串が刺さっているイメージが離れなくなった。満員電車にいても授業を受けても、保健室で休んでも、目に刺さった串は抜けないで、脳をかきまわした。かんこはめざしだった。めざしは勉強をしなくてもいい。めざしは学校に行かなくていい。ただ部屋でかわいていればいい。イメージはかんこを、多少、救った。トマトになったり肉になったりめざしになったりして授業を受けた。トマトだったら、なぐられたら液が飛び散るのはあたりまえなので、心置きなく泣いていい。肉だったら、ミンチになるのはあたりまえなので、たたかれても仕方がない。かんこは痛みを感じると、よくものになった。ものは、考えない。ものになると、考えないかわりに、痛みを少しやわらげることができる。医者にかかっても何が苦しいのかもはやわからなかった。」(102頁)

この部分を読んだ瞬間他のあらゆる表現が無意味なものになった。ただここに書かれていることが世界の全てだった。宇佐見りんに直接内臓を撫でられて、撫でた手がそのままわたしの中に棲みついてしまったようだった。棲みついた手。



ひとりの信頼のおける作家を見つけること、それは何ものにも代え難い人生の伴侶を見つけたような喜びがある。充足感に安堵しながら、棲みついた手にむかってささやくのは、わたしを離さないで、ということ。


たまに本を紹介する Vol.1